
はじめまして、現在ボストンのHult International Business SchoolでMBAを取得中のHirokiです。40代中盤で、妻と子ども2人を連れてボストンへ留学しました。このブログでは、留学を決断したきっかけから、Hultでの学び、就職活動、そして家族それぞれの挑戦まで、この1年間の経験を振り返ってみたいと思います。
あくまでも一個人の体験談ですので、状況や環境によって異なる部分も多いと思います。また、明らかにこれはおかしいというところもたくさんあると思いますので、そこは反面教師として、気軽に読んでいただければ嬉しいです。
今振り返っても、かなり思い切った決断だったと思います。子どもたちはまだ小さく、上の子は小学校に入る年齢、下の子は幼稚園。家族にとっても、生活環境、言語、学校、友人関係、すべてが大きく変わる挑戦でした。それでも私は、人生の折り返し地点に差しかかったこのタイミングで、もう一度、新しいことに挑戦してみたいと思いました。そしてこの1年は、私だけでなく、家族全員にとって大きな挑戦と成長の時間になりました。
留学を決断したきっかけ
私は新卒で入社してから17年間、損害保険会社で働いてきました。事故対応や保険金支払い、将来支払う保険金の予測、データ分析など、さまざまな業務を経験し、自分なりに専門性を積み上げてきたつもりでした。
一方で、40代に入り、「このまま同じ延長線上で進んでいってよいのだろうか」と考える機会が増えていました。資格試験にもなかなか合格できず、自分自身のキャリアに対して焦りや停滞感を感じていた時期でもありました。
そんな時、行きつけの飲み屋さんのマスターが、長年の夢だった沖縄移住のためにお店をたたみ、次の人生に向けて準備をしていると聞きました。それまで転職やキャリアチェンジはどこか他人事のように感じていましたが、その時、自分の中で何かが動きました。
「自分はこのままでいいのだろうか」
その問いをきっかけに、これまでの経験を活かしながら新しいキャリアに挑戦する方法を考えるようになりました。そこで思い至ったのが、MBAの取得でした。グローバルな視点とビジネスの基礎を体系的に学び直すことで、次のステージに進めるのではないかと感じたのです。そこから留学エージェントにも相談し、「今動かなければ、きっとこの先も動けない」と感じ、留学を決意しました。
正直に言うと、家族への伝え方は決してスマートではありませんでした。妻が子どもを連れて里帰りしている時に、電話越しでいきなり「留学するから」と伝えた記憶があります。今思えば、かなり一方的で、妻からすれば驚きしかなかったと思います。
子どももまだ小さく、資金的にも余裕があったわけではありません。教育ローンを受けるために母や兄にも相談し、周囲からも「急にどうしたの?」と驚かれました。それでも最後は、家族、職場の方々、友人、子どもを通じて知り合った保護者の方々が、みんな笑いながら「頑張れよ」と応援してくれました。その言葉に何度も背中を押されました。
留学までの道のり
留学を決めたとはいえ、実際にボストンへ行くまでの道のりは簡単ではありませんでした。
まず大きな壁になったのが試験です。当時は奨学金の条件として一定のスコアが必要だったため、最初はGREに挑戦しました。しかし、想像以上に難しく、3回受験しても思うような結果が出ませんでした。
一度は諦めかけましたが、Executive Assessment(EA)でも出願できると聞き、試験を切り替えました。初回は目標点に1点足りず、本当に悔しい思いをしましたが、2回目の受験でようやく必要なスコアを取ることができました。授業料の支払い期限ぎりぎりで、なんとかHultへの留学を正式に決断し、その後、会社に退職届を提出しました。
次に待っていたのがビザの問題です。当時、一時的に米国ビザの発給業務が停止されるなど、先が見えない状況がありました。妻と私は毎日のように大使館のウェブサイトを確認し、面接予約が取れない日々に不安を感じていました。
それでも最後は、授業開始に間に合うぎりぎりのタイミングで面接予約が取れ、無事にビザを取得することができました。こうして私たち家族は、ようやくボストンへ旅立ちました。
なぜHultを選んだのか
MBA留学を考えた時、年齢やキャリアチェンジのタイミング、費用面、学習環境など、さまざまな要素を慎重に考えました。その中で、私がHultに強く惹かれた理由は、1年でMBAを修了できるスピード感と、実践的な学びを重視する環境でした。
Hultでは、多国籍なクラスメートと一緒にプロジェクトに取り組む機会が多くあります。私にとってHultは、単に知識を学ぶ場所ではなく、これまで17年間積み上げてきた実務経験を、グローバルな環境で試す場所でもありました。
また、ボストンという街にも大きな魅力を感じました。学生の街であり、スタートアップやテクノロジー関連のイベントも多く、キャリアを考えるうえでも刺激的な環境だと思いました。
写真①クラスの集合写真
Hultでの学びと就職活動
Hultでの1年間は、Fall、Spring、Summerの3学期に分かれています。
Fallは、とにかく授業についていくのに必死でした。試験、チーム課題、個人課題をこなす毎日で、子どもと一緒に夜9時前には寝て、早い時は午前2時ごろに起きて勉強を始める生活をしていました。
チーム課題では、英語力の面で苦労しました。議論や発表で十分に力を発揮できない場面もありました。一方で、実務経験をもとにしたアイデアや、Excelを使った細かい分析・計算など、自分が貢献できる部分もありました。チームメートから感謝されることもあり、自分のこれまでの経験がグローバルな環境でも活かせるのだと感じました。
写真②Business Challenge教授とチームメンバー
Springは、授業に加えて就職活動に重点を置くようになりました。最初は、LinkedInでコネクション申請を送り、Coffee Chatにつなげ、Referralをいただき、面接に進むという流れをイメージしていました。しかし、実際には希望する職種の方とつながること自体が難しく、思うように進みませんでした。
そこで戦略を変え、イベントに参加して直接人と会うことにしました。ボストンのイベントだけでなく、クラスメートやHultのキャリアアドバイザーに紹介いただいた方々を通じて、コネチカット州のハートフォード、シカゴ、ニューヨークのイベントにも足を運びました。
移動距離はありましたが、希望する業界の方々と直接話す機会を得ることができました。前職での保険業界の経験に関心を持ってくださる方もいて、「自分のビジネスにアドバイスしてほしい」と言っていただくこともありました。単に就職活動のためだけではなく、スタートアップなど業界の最前線を自分の目で見ることができたことは、本当に貴重な経験でした。
いただいたReferralを通じて面接に進む機会も得ました。結果としてそのポジション獲得することはできませんでしたが、別の部署を紹介していただくなど、自分の経験を評価してくださる方々に出会うことができました。
また、MBAでの学びやこれまでの職歴を振り返る中で、自分が本当に挑戦してみたい方向性も少しずつ見えてきました。これまで17年間、自分なりに仕事に真摯に向き合ってきました。そして今回、新たな挑戦をするために米国に飛び込み、慣れない環境の中でも、悩みながら、もがきながら、自分にできることはやり切ったと思っています。
最終的には、米国で新しいキャリアの機会を得ることができ、その道へ進むことを決断しました。最初に考えていたキャリアとは異なる道かもしれません。しかし今は、これまでの経験と今回の挑戦があったからこそ、すがすがしい気持ちで次のステージに進めると感じています。
写真③参加させていただいたイベント
Summerは、FallやSpringとは少し雰囲気が変わります。3日間の集中講義などインテンシブなカリキュラムが中心となり、比較的まとまった時間を取りやすい期間でもあります。そのため、多くの学生にとって就職活動が本格化する時期でもあります。
クラスメートから「これから面接に行ってくる」と聞くことも増えました。また、インターンシップのためにボストンを離れる人もいます。テキサスでインターンシップをしながら、集中講義の時だけ一時的にボストンへ戻ってくるクラスメートもいました。また、サンフランシスコやロンドンなど、他キャンパスへローテーションする学生もいます。
FallやSpringのように常にクラスメートと顔を合わせる雰囲気とは少し違い、キャンパスにもどこか静けさが出てきます。それと同時に、「もうすぐ卒業なのだ」と実感する時期でもあり、少し寂しさも感じます。8月には卒業を迎えますが、人生の中でこれほどまとまった時間を自分の挑戦に使える機会は多くないと思います。だからこそ、このSummerの時間もとても貴重に感じています。
写真④Fenway Park野球観戦
家族それぞれの挑戦
この留学は、私だけの挑戦ではありませんでした。むしろ、家族にとっては突然「留学する」と言われ、振り回されたように感じたと思います。
上の子は、ボストンで小学校1年生を迎えました。英語の壁だけでなく、新しい学校生活に慣れる必要がありました。弟が泣きながら同じ校舎に向かう中で、兄として自分の不安を見せまいとしていたのかもしれません。それでも笑顔で校舎に入っていった姿は、今でも忘れられません。
その後、音楽発表会ではクラスを代表してスピーチをするなど、少しずつ学校に溶け込み、楽しい毎日を過ごすようになりました。
下の子は、最初の3週間ほど毎日泣きながら登校していました。ランチもあまり食べられなかったようです。しかし今では、学校で提供される朝食を楽しみにして、「早く学校に行きたい」と言うようになりました。家ではほとんど英語を話さなかったので心配していましたが、学校では友達や保護者の方とも英語で話していると聞き、「子どもの適応力は本当にすごい」と実感しました。
妻にとっても、この留学は大きな挑戦でした。子どもたちのクラスの学校活動を手伝い、学校や地域とのつながりを作ってくれました。その姿が、子どもたちがクラスに馴染むうえで大きな支えになったと思います。
また、慣れない環境の中で生活費を工夫しながらやりくりしてくれたり、毎日私のお弁当を作ってくれたり、本当に多くの面で支えてくれました。一方で、妻は子どもや私のためだけに米国へ来たわけではありません。本人にも、自分の好きなことを楽しみ、新しい経験をしてほしいという思いがありました。
生活が少し落ち着いてから、妻は自分が続けてきた書道を、アパートの住人や子どもの学校の家族に教えるようになりました。そして、子どもの授業で異文化教育の一環として書道を教える機会も得ました。後日、クラスの子どもたち一人ひとりから感謝状をもらい、とても嬉しそうにしていた姿が印象に残っています。
家族それぞれが、自分の場所で悩み、行動し、少しずつ自信を得た1年でした。
写真⑤家族でクリスマスイルミネーションにて
1年を振り返って
この1年は、決して楽な時間ではありませんでした。
金銭的に余裕があったわけではなく、旅行や外食などもまったくできませんでした。古いアパートで水漏れが起きたり、子どもが40度の熱を出した時の対応に不安を感じたり、生活の中で大変なことが何度もありました。
それでも振り返ってみると、家族みんながそれぞれできることをやり、日々の生活の中で楽しみを見つけ、少しずつ結果につなげることができたように思います。
私自身も、学生生活、就職活動、家庭との向き合い方を通じて、多くのことを考えさせられました。日本にいた頃も、渡米してからも、家事や育児の多くを妻に任せきりにしてきました。それが当たり前だと思っていた部分もありましたが、慣れない海外生活の中で妻が一人で抱えている負担の大きさに、改めて気づかされる場面が何度もありました。
これまでの自分を振り返ると、少し古い表現かもしれませんが、「背中で語る」ような父親・夫だったと思います。しかし、クラスメートからのアドバイスも受けながら、新しい道に進む今だからこそ、家庭の中での自分自身も変えていけると感じています。
卒業後、8月からはカリフォルニアで新しい生活が始まります。早速、住む場所がなかなか決まらず、新たな課題に直面していますが、これからも家族で一つひとつ乗り越えていきたいと思います。
これから挑戦する方へ
もしMBA留学を選ばなければ、家族全員がもっと穏やかに過ごせていたかもしれません。
試験対策、ビザ取得、多国籍チームでの課題、英語での授業、就職活動、妻や子どもたちが新しい生活に慣れられるのか、子どもが病気になったらどうするのか。考え始めれば不安は尽きず、家族全員が何度も戸惑う場面ばかりだったかもしれません。
それでも、一つずつ目の前の問題を解決していくうちに、新しい生活の中に少しずつ楽しみを見つけられるようになりました。大変なことばかりではなく、新しい出会いや経験に心が動く瞬間もありました。
不安と期待が入り混じる毎日でしたが、沖縄の言葉で「胸がどきどきする」という意味の「ちむどんどん」という表現がぴったりの日々でもありました。
年齢や家族があることは、挑戦できない理由ではありません。むしろ、これまでの経験や家族の存在が、自分を支えてくれ、家族の絆を強くしてくれることもあります。
最後に、これまで支えてくださった職場の皆様、友人、Hultで出会ったクラスメート、Hultのコーディネータおよび先生方、そして家族に心から感謝しています。
この挑戦は、私一人では決してできませんでした。
本当にありがとうございました。